こんばんはtakaです。
今回のプロフェッショナルでは
佐藤章さんの特集が放送されます。
佐藤章さんは知る人ぞ知る、
伝説のヒットメーカー、
マーケッターと言われるお方です。
少し前に湖池屋の社長になられましたが
それ以前はキリン関連の会社で
商品企画のお仕事をされており
『FIRE』、『生茶』など数々の
ヒット商品を世に送り出して
来られたそうです。
いろいろ調べましたので
ご紹介しますね。
目次:
- 佐藤章さんのプロフや経歴は!?
- 佐藤章さんの業績や商品が凄い!!
- 佐藤章さんの年収や伝説マーケッターの秘訣や方針は!?
- 佐藤章さんの名言の数々
- 佐藤章さんの今後は!?
1 .佐藤章さんのプロフや経歴は!?
出典:https://www.google.co.jp
名前 :佐藤章(さとうあきら)
生まれ:1959年6月27日生まれ
出身 :東京都
卒業校:早稲田大学法学部
所属 :株式会社湖池屋
役職 :代表取締役社長
趣味 :ゴルフ(ハンディ6)
経歴
1982年 キリンビール入社
1997年 キリンビバレッジ商品企画部へ
2008年 営業本部マーケティングの部長
2011年 九州統括本部長
2012年 キリンビールマーケティング執行役員九州統括本部長
『氷結ストロング沖縄産シークヮーサー』
2014年 キリンビバレッジ㈱ 代表取締役社長に就任
2015年 キリン取締役
2016年 フレンテ(現:湖池屋)執行役員
2016年 湖池屋社長(9月~)
株式会社湖池屋
創業 1953年
設立 1958年1月
本社所在地 〒175-0094 東京都板橋区成増五丁目9番7号
資本金 22億6千9百万円
連結売上高302億9千百万円(2017年6月期)
従業員数:454人(単独) , 720人(連結)
1962年 「ポテトチップス のり塩」発売
1967年 日本で初めてポテトチップス量産化に成功
1984年 「カラムーチョ」発売
1987年 「スコーン」発売
1990年 「ポリンキー」発売
1993年 「すっぱムーチョ」発売
1994年 「ドンタコス」発売
1997年 「ピンキー」発売
2011年 日清食品ホールディングス㈱と業務・資本提携
2016年 コーポレートブランドを再編し㈱湖池屋に統一
2017年 「KOIKEYA PRIDE POTATO」
新生・湖池屋 第一弾商品
2.佐藤章さんの業績や商品が凄い!!
佐藤章さんが携わった代表的
商品としては
キリン時代のものとしては
(数字は販売初年度の実績)
『FIRE』:1050万箱
『生茶』 :2250万箱
『聞茶』 :1300万箱
『アミノサプリ』1470万箱
『午後の紅茶』
『世界のKitchenから』
「一番搾り」のリニューアル
『FIRE』の時には、当時CMに出演していた
スティービーワンダーさんに
出演依頼を直筆で送ったとかいう噂が。
さすが、「ゴリラ」や「ブルドーザー」
などの異名をとる佐藤章さん。
その相手の凄さにしり込みせず、
どんどん進んで行く力強さや頼もしさが
凄いですね~。
そして湖池屋に移ってから第一弾、
新生湖池屋のとして発売したのが
「KOIKEYA PRIDE POTATO」
想定以上の売れ行きに供給が追い付かず、
一時販売が休止されたほどだったそうです。
年間20億円でヒットと言われる中、
最初の二か月間で10億円もの売り上げ。
分野としては以前の清涼飲料水から
スナック菓子と変化し、普通なら
その違いに少なくとも最初は戸惑う
ような気がしますが、いきなりの大ヒット。
佐藤章さんの前ではそのような変化は
関係ないように感じてしまいますね。
3.佐藤章さんの年収や伝説マーケッターの秘訣や方針は!?
これだけのヒット作を立て続けに世に送り出して
会社の業績に貢献している佐藤章さんの年収が
気になるところですよね。
佐藤章さんの年収そのものの情報はありませんでした。
そこで会社の従業員や売り上げなどの
業規模などからの推測になります。
湖池屋の従業員数は連結でも720人ですので
これらの情報からの推測では
約4,000万円くらいになりますが、
数々のヒットを生み出してきた
佐藤章さんとしては、
もう少し上回ってくれた方が
一般人にとっては夢がある感じで
良いのですが、どうでしょうか?
清涼飲料業界では「千三つ市場」という
言葉があるそうです。これはつまり1年間に
登場する新商品が1000くらいあり、
そのうち翌年まで生き残るのは、
せいぜい3つ程度ということを揶揄した
言葉だそうです。ロングセラー商品は、
さらに少ないそうです。そんな言葉が
生まれるくらいですから、
清涼飲料業界でヒット作を生み出すこと
しかも立て続けに生み出すことが
いかに至難の業かということが
分かると思います。そんな難しいことを
達成してきた佐藤章さんの方法などが
非常に気になりますよね。
キリン入社当時、営業職として現場の
お客様の声を聞くにつれて、悔しい想いを
するとともに、やはり商品力が、特に
市場ニーズなどを緻密に分析した
プロダクトイノベーションの必要性を
肌で感じ商品企画に関わりたいと思ったそうです。
商品企画に移ったあとは、営業時代に感じたことから
市場にニーズの分析、お客様の生きてる時代性、
お客様の気分を感じ取る。つまり
市場と時代とターゲットの三つの要素を分析し、
新商品開発要件を立てる。
そしてその開発にあたっても従来からの取り組み方を変え
組織の壁を超えたプロジェクト化して開発コントロール
する仕組みを築いたこと。つまり、商品開発、販売戦略、
広告企画の各業務担当者などを巻き込んで多様な
意見を吟味しながら進めたことだそうです。
そのことによってそれぞれの持ち味が最大限に
引き出され良いものが出来上がるということだそうです。
そのような商品つくりにはチームで取り組むべきだと
いう考えは、入社数年目にあったドイツ視察時にみた
ひとつのブルワリーで醸造の工程を一気通貫で体験できた
ことが原点となったそうです。そこで目の前が開けた
気がし、チームで取り組むスタイルが生まれることと
なったようです。
ただし佐藤章さん自身はあまり深く入り込まないようにしているそうです。
おそらく、入り込みすぎると会社側のスタンスになってしまって
お客様目線からずれてしまうことを恐れているのでしょうか?
お客様のニーズという言葉などばマーケッタでは
良く聞く言葉だと思うのですが、佐藤章さんは
よほど分析力が凄いのか、嗅覚が凄いのか
単なるニーズをきちんととらえ分析すると
いう言葉だけでは他の方との違いが
理解できないですよね~。
4.佐藤章さんの名言の数々
悔しい経験もバネに数々のヒットを生み出してきた
佐藤章さんにはそのような思いを表現した
数々の名言も残されています。
『イノベーションだけではすぐに追いつかれる。
時代に合わせて飲む「意味」を変えていく。』
『マネではないマーケティングをしない限り、
本当の発展はなく、つぶし合うだけ』
『異なる個性の人たちとチームを
組むからこそ、最適解は見付かる』
『チームをどう作って、
どう動かすかが成功のカギを握る。』
『キリンらしさが何かをもう一度考えて、
それを取り戻す。私は「この指とまれ!」
タイプのリーダーです。「俺はこれをしたい」
という目的やゴールを投げかけ、
興味のある人を集めてチームを作ります。』
『若いうちに経験した失敗は、必ず将来の役に立つ』
『ヒットを打とうと考えたら、ヒットは打てない。
合わせにいくと、差別化は小さくなるから。』
『二番煎じばかりだと、画期的な商品はつくれない。』
『常にホームランを狙ってきた。だから
これまでに二番煎じをやったことがない。』
『若いころから反骨精神が強く、営業現場で
ゴリラとかブルドーザーとか呼ばれていたが、
これからも常にフロントライン(最前線)にいるつもりだ。』
『スタンスを思い切り大きくとってホームランを
狙うべきだ。理論的に正しい優等生商品は売れない。
大切なのは、開発者の意思を商品に封じ込めること。』
『僕のポリシーは「隗より始めよ」。僕自身が先頭を
走り、社員には「走りながら考えよ」と訴えている。』
『僕のやり方は決まっている。お客様の不満を
徹底的に聞き、解決策をいかに商品に投影するか、
ということ。』
『雑多なメンバーがフラットな土俵で
やりあったから、斬新な商品を開発できた。』
ノンアルコールビールテイスト飲料「フリー」
開発時を振り返っての発言だそうです
『キリンにいた頃から、湖池屋の事業領域で
ある食に大きな魅力を感じていました。
この年齢になって新しい世界に身を
投じることができ、ワクワクしています。』
【覚え書き|湖池屋社長就任について】
やはりチームでの徹底的な取り組みや
その発端にある、お客さんのニーズ、
そして失敗を恐れず、二番煎じにならない
ホームランを狙った開発ということが
重要ということなのでしょうか?
5.佐藤章さんの今後は!?
湖池屋の社長に就任後最初の
商品でも生産が追い付かないほどの
ヒットをいきなり世に出した佐藤章さん。
名言集にもありますように、まだまだ、
これからも常にフロントラインにいるつもり
とのこと。今後もどんなワクワクするような
新商品が佐藤章さんの手によって
世に送り出されてくるか楽しみですね~。