2018年2月17日(土)夜10時から放送の
switch達人達に草間彌生さんが
出演されます。
草間彌生さんと言えば、
数々の賞を受賞してきた
著名な芸術家の方です。
いろいろ調べましたので、
ご紹介しますね。
目次:
- 草間彌生さんのプロフィール
- 草間彌生さんの前衛芸術のきっかけ
- 草間彌生さんの活動実績がすごい!
- 草間彌生さんのプライベートは?
- まとめ
1.草間彌生さんのプロフィール
本名 :草間彌生(くさまやよい)
生まれ:1929年3月22日生まれ
出身 :長野県松本市
卒業校:京都市立美術工芸学校
職業 :彫刻家、画家
受賞歴:
1996年:ベストギャラリー賞
(国際美術評論家連盟)
2000年:第50回芸術選奨文部大臣賞、
外務大臣表彰
2002年:紺綬褒章
2003年:フランス芸術文化勲章オフィシエ
2006年:旭日小綬章
2016年:文化勲章
2017年:名誉都民
1957年(昭和32年)に渡米し、活動拠点を
ニューヨークにおき、現地の著名人と
親交を深めたそうです。
昭和32年に渡米とはすごいですね。
まだそれほど海外に渡る人が多くない時期に
言葉の不安などはなかったのでしょうか?
2.草間彌生さんの前衛芸術のきっかけ
草間彌生さんの前衛芸術のきっかけは
少女時代からの病に端を発するようです。
もともと長野県の裕福な実家にお生まれ
になったそうで、幼いころから
スケッチなどに親しんでいたそうです。
ですがその頃は草花などのスケッチで、
のちに前衛と言われるようなものでは
なかったそうです。
一方、少女時代から統合失調症を
病んでおられ、幻覚や幻聴に苦しめ
られていたそうです。
それらの苦しみから逃れるために、
幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き
始めたことが通常のスケッチと
ことなるのちに前衛と言われる
作品のきっかけのようです。
視界が水玉や網目で埋まったり、
動植物が人の言葉を話しかけて
きたりする幻覚などを見たそうです。
草間彌生さんの作品の特徴でもある
水玉(ドット)のモチーフは
幻覚や幻聴から身を守るためという
話しもあるようです。
3.草間彌生さんの活動実績がすごい
1945年、大戦からの疎開した画家らが
立ち上げた「第一回全信州美術展覧会」
で若干16歳で入選。その後も京都などに
移り、学生時代は日本画を学ぶが
旧弊な日本画壇に失望し、長野に戻り
毎日数十枚以上の作品制作に没頭。
地元、松本市での活動中、のちのよき理解者
となる、精神科医の西丸四方、美術評論家の
滝口修造らにも認められる。
滝口さんの関与する、画廊での個展を開くと
ともに、滝口さんの紹介でニューヨークの
画家(ビエンナーレ)と知り合ったことがきっかけで
1957年の渡米へと繋がる。
ニューヨーク時代は「クサマ・ハプニング」と
称される、屋外でのヌードデモや乱交などを
テーマにした過激なパフォーマンスの披露で
男女の性差の否定をベースにベトナム戦争に
対する反対運動をリードしたそうです。
「世界で最も人気のあるアーティスト」
(2014年:イギリス)や
「世界でもっとも影響力のある100人」
(2016年、アメリカ『TIME』誌)に選出。
その他数々の賞を受賞するなどその活動は
留まるところ知らない感じですね。
4.草間彌生さんのプライベートは?
アメリカでの数々の活躍を見せる一方、
プライベートではアメリカで10年に渡り
パートナーとして深い信頼関係で結ばれていた
ジョゼフ・コーネルが死去したこをがきっかけと
なったのか、体調を崩し、73年に帰国。
翌、74年には草間さんの芸術活動に理解を
示していた父親が他界する。
それらの出来事が影響したのか、それ以降
精神病院への入退院を繰り返すようになった
そうです。
その状態にありながら、小説や詩、自伝などにも
取り組むようになったそうです。
5.まとめ
90歳に近づいた今でも
一日一作品を仕上げる日があるという
ほどの創作エネルギーが溢れる
草間さん。
私から見ると尽きないように見える
その創作エネルギーはいったいどこから
生まれてくるのか不思議で仕方がない
です。まだまだこれからも活躍を
続けてほしいと思います。