小嶋淳司(がんこフード)経歴やきっかけは!?名前の由来や母譲りの人、育成への気持ちが凄い!?【カンブリア宮殿】

こんばんはtakaです。

今回のカンブリア宮殿では

小嶋淳司さんが出演されます。

小嶋淳司さんといえば

出店https://www.google.co.jp

で知られる「がんこ寿司」を

はじめとする

和食チェーン「がんこフード」の

創業者です。

私は写真のがんこ寿司の

イメージしかなかったのですが、

今では

寿司、和食、炉ばた料理、

こがんこ、とんかつ、韓国料理店など

直営90店舗を全国展開しているんだそうですね。

しかもお店の展開を重要視しているのではなく

人材育成を非常に重要視されていうということで

興味が湧きいろいろ調べましたので

ご紹介しますね。

 

目次:

  1. 小嶋淳司さんの経歴
  2. 小嶋淳司さんのきっかけ
  3. 小嶋淳司さんの名前の由来は!?
  4. 小嶋淳司さんの人、育成への気持ちが凄い?
  5. 小嶋淳司の今後は!?

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1.小嶋淳司さんの経歴

出典:https://www.google.co.jp

 

名前 :小嶋淳司(こじまあつし)

生まれ:1935年7月16日生まれ

出身 :和歌山県

卒業校:同志社大学経済学部

和歌山県立田辺高校

所属 :

高校時代:雑貨屋「こじま」をきりもり

大学卒業後:寿司屋で修行

1963年:「がんこ寿司」開店

1969年:法人設立。社長就任

2005年:会長就任

 

著書 :『儲かってまっか! がんこ流人育て心得帖』

その他:

2006年~2008年:関西経済同友会(代表幹事)

 

2.小嶋淳司さんのきっかけ

小嶋淳司さんのご実家は

「こじま」という雑貨屋さんです。

小嶋淳司さんがまだ小さい9歳の頃、

お父さんがお亡くなりになり

6人の子供をお母さんが育てながら、

切り盛りしていたが、病になり店が

続けられなくなりそうになったそうです。

 

6人兄弟のみんなは、お姉さんは嫁いだり、

お兄さんは大阪の方に仕事で出たりで

その時には6人兄弟の末っ子の小嶋淳司さん

が店を継がないと続けられないということで

高校生だった小嶋淳司さんは休学届をだして

家業をすることを決意したそうです。

 

そのとき

その当時、小嶋淳司さんは高校生であり、

今よりも若者に対しては「若造が!」

みたいな風潮が強かったかも知れないときであり、

仕事は大変だったそうですが、

仕入れなどで、詰襟で行くと

周囲の大人たちが一生懸命教えてくれた

そうです。

一生懸命やれば認めてもらえる、結果が

出せるというこの時の感動ともいえる経験が

商売の道に進むきっかけだったそうです。

 

その後、将来を見据えて、本格的に

商売をするために大学では経済学を学び、

その授業の合間などに、街へ出て、

どんな人がどんな店をどう利用しているか

などご自身で調査し、客単価やサービスの質など

事細かに調べたそうです。

今と違って、リサーチの方法等もないので

ご自身で調べるしかなかったのですね。

 

そうやって、調査した結果、

当時一番遅れている業界が飲食業界で

その中でも寿司屋が儲かっていて

魅力的だったということで寿司屋を選び、

寿司屋の修行をされ、大阪の十三で

4坪半と小さいながらも出店に至ったそうです。

 

3.小嶋淳司さんの名前の由来は!?

小嶋淳司さんのお店の「がんこ寿司」

などにある、「がんこ」という名前の

由来が気になりますね。

小嶋淳司さんは昔からもそうだったようですが

高校時代は特に大人たちに交じって

商売をされていたということもあり、

同世代の友人達と考え方が違っていたということも

あったのでしょうね。

ですので、周囲の学生の友人たちから見ると

相当の変わり者と思われていたのでは?とのこと。

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4.小嶋淳司さんの人、育成への気持ちが凄い?

小嶋淳司さんがお店を経営していくうえで

もっとも重視しているのは、『人』だそうです。

経営セミナーなどで大切な経営資源は

『人、モノ、カネ』教科書的には説明されますが、

小嶋淳司さんは『人、人、人』と徹底的に

『人』が大切との考えだそうです。

人さえ育っていれば、モノもカネは

なんぼでもついてくる、と。

 

もうひとつは、それぞれの置かれた立場で、

自分のやっていることを好きになること。

がんこ寿司さんでは『今期、何店出店します』

という目標は一切ないそうです。

 

それは人「が育つに従って店を作り、

店を作ったから人が育つのが見込めなんだら、

店はやらんということを決めました」

からだそうです。

お客さんに満足してもらうことを

大事に考えられる、

「泥棒さんでも客と思え」という

お母さんのまさに客商売を言い得ている

教えですが、それは「たとえ泥棒が入って

来ても、泥棒をさせないように説得して、

その泥棒が次にはお金を持って、

お客として買いに来たくなるような

対応をする力量がなければあかんよ」

ということだそうです。

そういうスキルの部分というよりは

商売が好きかどうか、お客様が

喜ぶことを自分の喜びとすることが

出来るかどうかが重要ということで

それは自然とお客様に伝わるものだと。

 

5.小嶋淳司さんの今後は!?

今年で83歳になる小嶋淳司さんですが、

外食産業などの商売に対する情熱は

まだまだご健在のようです。

 

がんこフードさんでは

大阪「平野郷屋敷」や京都「高瀬川二条苑」などに

貴重な文化的遺産を生かした

和食店を展開していますがそれもその表れの一つのようです。

 

といいますのも日本の食文化とともに、

伝統建物を伝えていく義務からのようです。

寺院は文化財として存続できますが、

民間家屋はどんどん消えていく。そういう

生活文化をまるごと残したいようです。

 

外食業界の発展に向けた貢献、

また家族の団らんをはじめ、

ふれあいの希薄化が指摘される世の中を懸念し、

楽しみながら食事をするという

方向性を極めていきたいと思っておられるようです。

 

平成2年に始めた平野郷屋敷(大阪市平野区)で、

古い日本家屋を使った「お屋敷」事業を始めましたが、

会長肝いりだが、なぜか社内では反対が多かった

反対が多いというよりもご本人曰く、

「1人も賛成がいなかった(笑)。」そうです。

ですが、最後は賛成してくれたようです。

それは『ほとんど道楽らしいことをしてこなかった

社長の道楽に付き合うか』ということだったそうです(笑)。

 

ただ、社内の人がそういう反応するのも無理のないような

ほとんど人通りもないような場所だったからだそうです。

 

ですが小嶋淳司さんとしては「やはり和食を

召し上がってもらうのは、ビルの中よりも、

日本人に親しまれている木造(の日本家屋)で

食べていただく方が、

お客さんに対する付加価値が強くなるという思い」

考えからだそうです。

まだまだ、商売に対する情熱が尽きない

小嶋淳司さんのお客様の満足感えれれる

どんなサービスが今後も生まれるのか

楽しみですね。