ギリヤーク尼ヶ崎(大道芸人)名前の由来、意外な経歴?高齢、病気、弟と確執も公演へ!?【ザ・ノンフィクション】

こんにちはtakaです。

今回(2019年4月14日)の

ザ・ノンフィクシでは

ギリヤーク尼ヶ崎さんの特集が放送されます。

ギリヤーク尼ヶ崎さんは

伝説の大道芸人と

呼ばれるお方です。

色々調べましたので

ご紹介しますね。

スポンサードリンク
目次:

  1. ギリヤーク尼ヶ崎さんの名前の由来と意外な経歴!
  2. ギリヤーク尼ヶ崎さん、高齢、病気、弟との確執?
  3. ギリヤーク尼ヶ崎さんの公演は?
  4. ギリヤーク尼ヶ崎さんの今後は!?

1.ギリヤーク尼ヶ崎さんの名前の由来と意外な経歴!?

出典:https://www.google.com/

名前 :ギリヤーク尼ヶ崎

本名 :尼ヶ崎 勝見(あまがさき かつみ)

生まれ:1930年8月18日

出身 :北海道函館市

卒業校:市立函館中学

職業 :大道芸人、舞踊家

芸名の由来は自身の風貌が

サハリンの先住民族である

ギリヤークに似ていることから

出典:https://www.google.com

実家は和菓子屋で

大道芸は幼少期より親しんで

いたそうです。

ですがそのころは大道芸だけに

こだわるということはなく、

器械体操も行っており、

1946年の国民体育大会では

体操競技の北海道代表にもなるほどの

技術だったそうです。

中学校卒業後は、21歳で上京し、

俳優を目指すし、オーディションを

受けるも「なまりが強い」と

すべて落選だったそうです。

その後青年時代は創作舞踊を学び

全国合同公演へ舞踏家とし参加するも

なかなか芽が出ず警備員や

ビル清掃の仕事などで生計を

立てていたそうです。

30代になったころ、自らの芸を極めるため

大道芸に転向し、1968年に38歳で初めて

街頭公演を行った。以後「鬼の踊り」

と称される独特の舞踏が賞賛を受け、

「最後の大道芸人」と呼ばれた。

1995年に発生した阪神・淡路大震災に

強い衝撃を受け、

被災地である神戸市長田区の焼け野原に

なった菅原市場で鎮魂の踊りを舞った際に

尼ヶ崎が「南無阿弥陀仏」と叫ぶとともに、

被災者のお年寄り達が一斉に合掌した。

その雰囲気に圧倒されたとき、

自身の踊りの本質が「祈り」であることを

悟ったと以降の芸風も「祈りの踊り」

へと変化したそうです。

スポンサードリンク

2.ギリヤーク尼ヶ崎さん、高齢、病気、弟との確執?

ギリヤーク尼ヶ崎さんは現在、88歳

(2019年4月執筆時点)

お住まいは都営団地。

物忘れの悪化

車いす生活

心臓ペースメーカ

椎間板ヘルニアの折れ(2011年)

パーキンソン病の悪化(2015年)

脊柱管狭窄症への疾患

などの高齢などに伴う、数々の疾患を

抱えながらも昨年(2018年)にも

毎年恒例の新宿公演を成功させています。

ですが、普段の生活では

車いす生活で一人では歩行もままならぬ

状態を10歳したの弟さんの献身的な

介護で支えられているが、

10歳も年下とはいえ、弟さんも78歳

最近、問題視されている老人が老人を

支える「老々介護」で兄弟間の

関係も徐々に複雑な感じになっているそうです。

3.ギリヤーク尼ヶ崎さんの公演は?

ギリヤーク尼ヶ崎さんの公演としては

基本的に初代・高橋竹山と白川軍八郎の

津軽三味線独奏テープに合わせて独特の舞を踊ります。

以下の季節ごとの公演があるそうです。

(ただし、体調の事情などにより開催に影響あるかもしれません)

春季:関西公演(京都、大阪、尼崎、神戸)

夏季:北海道公演

秋季:東京公演(新宿三井ビル前広場)

冬季:埼玉公演(川越成田山新勝寺別院)

その公演は国内だけでなく、海外で

行われたことも。

1975年以降はフランス、アメリカ、

韓国、サハリン、中国など海外での公演

2001年のアメリカ同時多発テロ事件に際しては

1年後の2002年9月11日に

ニューヨークで鎮魂の舞を舞った

また代表的な演目としては

「念仏じょんがら」

「涅槃じょんがら」

「じょんがら一代」

「夢」:

ピエロ風の衣装で一輪の紅いバラを

手にして舞う短時間の演目

「白鳥の湖」

曲はチャイコフスキーの同曲ではなく、

サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」

第13曲「白鳥」を使用しているそうです。

念仏じょんがら 青空舞踊 新宿公演 2010年10月11日新宿三井ビル55広場

最後の大道芸人、舞踏家ギリヤーク尼ヶ崎による「祈りの踊り」


スポンサードリンク

4.ギリヤーク尼ヶ崎さんの今後は?

今でも、高齢に加え、さまざまな病に

侵され、通常の生活にも支障をきたす状態。

そんなギリヤーク尼ヶ崎さんの今後に

ついてご本人は

「あと2年。それが限度じゃないかな」と

悟っている。「調子が悪いもの。

注射をうっても効かないね。曲がった骨は

元に戻らないんだよ」と。

そんな曲がった体での踊りに対して

お客さんが見に来てくれてカンパを

もらえることから

踊りはウマさだけじゃない、魂の世界

みたいなものを感じているという。

今後は夢として

2020年の東京オリンピックの際に

富士山の麓でじょんがら一代を

踊りたいそうです。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする